34歳で死ぬ

34歳で死ぬ予定の22歳の日記

2021/05/07

あの人にドチャクソに振られてからもうそろそろ4か月が経とうとしている。

ドチャクソに振られて関係もなくなったけど、わたしはあの人のおたくをやっているし、たまーーーーに業務的なラインもする。ツイッターミュートされてるしインスタのフォロバ帰ってこないし服あげたり差し入れしたりしてもなんにもお礼返ってこないけど。まじで最後のふたつは人としてどうなんだよ。

 

4月22日の明け方におばあちゃんが亡くなった。

最後に会ったのが、あの人に振られて居ても立っても居られなくて実家に帰ったときだから3か月前で、まだおばあちゃんも家にいて一緒にお寿司を食べた。

わたしは結婚とか出産とかあんまり興味ないけど、おばあちゃんが絶対一番喜ぶと思うから、そのために結婚したいなあって思っていた。

昼に美容室に行って髪を染めてあの人のライブに行ってから実家に帰った。

叔母に「せめてお兄ちゃんかどっちかが結婚するまでは生きててほしかったよね」ってふと言って、自分が考えてたこととかいろいろ思い出してぼろぼろ泣いてしまった。

荷物整理したら出てきたから、真っ赤なディオールのリップ塗ってあげたんだ。って言われた瞬間に、おばあちゃんの部屋にあったディオールのリップの香りとか、絶対筆で塗るんだよなとか、筆で塗るからべったべたなんだよな、とかいろんなことを思い出してしまった。

通夜と葬儀が終わった次の日の昼の飛行機で帰る予定だったけど、緊急事態宣言で手数料無料でキャンセルできるようになったからキャンセルして、夜の飛行機取ろうかなって思ったけど、やっぱライブありそうって思って朝8時に起きたらライブ見つけたからチケット予約して11時半の飛行機を取った。1時間で準備して家出て4時間半かけてライブ会場に向かってたら、会場に向かうバスの中からあの人の姿が見えていろんな意味で怖くなってしまった。出演者がシークレットでもわたしは絶対に全通するって決めてるけど、全通ってここまでしないといけないのか…って普通に思ってしまった。

おばあちゃんがわたしのことを「上京したときは不安だったけど、ちゃんと働いてるしもう全然心配無用だわ」って言ってたって話を聞いて、わたしはこの家の人間だから、タフネスだしフットワーク軽いよ、心配なんかされなくてもわたしはわたしだし、やりたいことやる。やりたいことやらないわたしより、やりたいことやってるわたしのほうが、きっとおばあちゃんもうれしいんじゃないかなっておもう。

そもそも1月に実家に帰ったのもあの人に振られなきゃ帰ってなかったし、そう考えるとすべての物事や行動には意味があるんだなってすごく思った。1月に実家帰っておばあちゃんに会ってなかったらもっと絶対後悔してたと思うから、振ってくれてありがとう、すら思っちゃった。絶対そんなことはないんだけど。

 

葬式終わった夜にツイッター見たら推しがたぬきに書かれてて実家でめちゃくちゃ笑った。セックスできないけど金払えば繋がれるよ。絶対金は払えよな。おしまい。

2021/01/03

糖質制限してるのにおにぎり2個とバターロール一袋食べちゃった。

 

いろいろと考えることがある。

容姿のこととか、お金のこととか、自己肯定感のこととか。

自分は何者にもなれないと自分に念じて生きてきたし、今でもそうだと思うけど。

何が正しいとか何が間違ってるかなんて当人にしかわからないし、当人しか判断しなくていいと思う。

わたしはただ、あの人がわたしのことをどう思ってるかを知りたいだけで、それ以外何もいらなくて、でも、何も思われていなかったときが怖いだけ

どうしてこの身体で、どうしてこの自己肯定感なんだろうな。

どうせ馬鹿なら自分のことをつらいと思わないくらいの馬鹿でありたかったし、うぬぼれられるほどの馬鹿でいたかったのに。

あの人とどうなりたいのか、それすらわからなくなってしまって、いろいろと感情がごちゃごちゃになることばっかで、来週の連絡来ないこととか、そもそも来週会えるのかとか、やっぱお金ないとか、でもお金なんかどうにでもなるし、どうにかしなきゃとか、

でも明確なのはあの人が好きで、あの人に会いたいということ

あの人はわたしのことなんにもわかってないけど、わかってないまま、わかってほしいなっておもえてるぐらいがいいのかもね

おもってるよりわたしはすきだし、あいたいし、まいにちたのしいし、あのひとのためにいきてるし、いきがいです、って言ってもわたしのおもってるきもちの大きさは伝わんないんだろうなあ

わたしはあの人のことずーっと考えてるのに、あの人はわたしのことをかんがえることなんかあるのかな?

でも、あの人の頭の片隅にでもわたしがいること自体がうれしいから、

2020/12/21

今日ずっと「やっぱりブログやりはじめようかな」って思ってふとお風呂に入る今の時間にノリで開設した。

わたしの昔のことを知っている人からしたら「はてなブログでやんのかい!」と思われるだろうけど、カテゴリに投稿しなければほとんど目につかないことはわたしが一番知っている。たまに何かの検索ワードで引っかかって読んで「なんか見ちゃうな~」ぐらい思われれば万々歳である。はてなブロガーのことを馬鹿にしてきた数年間だったけど、わたしはもともとはてなブログ出身みたいなところもあるし、文章の基礎として、考え方の基礎としてこのブログを活用しようかなと思う。

まあ平たく言えばめちゃくちゃ文章でのアウトプットがしたくなっただけで、昔からたまにある”そういう時期”なだけだと思う。昨日ふと5年前の自分の書いたブログを読んだら、良い意味でも悪い意味でも変わらないしぶれないなと思った。なんでもお金で解決しようとするところとか。笑 5年前はまだ高校生だったのにな~。

生きてりゃいろいろあるもので、17歳のときに「34歳で死ぬ」と決めてからもう5年が経とうとしている。「そういえば34歳で死ぬって決めてたな~」って最近思い出したけど、思っていることはずっと変わってない。老いたくないしいつまでも若い価値観でいたい。散る時こそ美しくありたい。でも当時一番に思ったのは「17歳までのこの人生、あと同じ期間を4回も5回もやれるわけない」。慢性的にずーっとしんどくて死にたくて消えたい朽ちたいしか思ってない17年という期間をあと4回も5回もやらなければいけないなんて無理だし、実際17歳から22歳まででいろんなことがあったけど慢性的な希死念慮はずっと続いている。ずっと死にたいって思ってるのに80歳ぐらいまで生きるのめちゃくちゃしんどいしめちゃくちゃ謎だし早く死ねよってわたしからしたら思う。17歳のときもつらかったんだろうけど、5年間でつらいことがありすぎたわりに幸せだった・楽しかったことの割合が少なすぎるしやっぱりわたしの人生は課金しないと面白くないクソゲーなわけで。面白くしたいからいろいろなことをしているけど、そもそも論人と関わると精神不安定になるからやっぱり生きるの向いてないのかもしれない。

でもわたしの残りの人生は12年ぐらいしかないので、折り返し地点過ぎてるじゃん♪と思えば意外と残りって短いのかもなとも思う。34歳になったら、今よりもっと「あの頃は若かったな~」とか老害みたいなことを言うことになるんだろうか。自分がなりたくない大人になるのだけは嫌だけど、そういう人ってなりたくない自分になっている自覚がないだけかもね。

今の自分の悩みとか、結局悩み自体は変わらないけど、本質がまるで違ってしまったからあえて絶対伝わらないけど聞かせてください。

17歳のわたしへ。

あなたは今何が幸せだと感じますか?

どうやったら自分が幸せに生きていけると思いますか?

22歳のわたしは、「幸せ」というものが全く分からなくなってしまいました。ほとほと困っております。わたしだって好きでこの自分に生まれたわけじゃないのに、変えられないことのせいで幸せになれないことを痛感して世界って理不尽だよなあって思ってます。あの頃、何のために生きて何を幸せとして感じて生きていたんだろう。そんなことも考えなくてもいいほど、若さだけで生きられたのかもしれないけど。